2015年御翼4月号その1

「これが最後の高等弁務官になりますように」

       ―平良 修牧師  NHKEテレ 「こころの時代」より
 沖縄県宮古島で50年牧師を務めている平良(たいら)修師は、学生時代訪れた教会で、真剣に聖書のメッセージをする国中(くになか)牧師に感化されて、洗礼を受けた。当時、あれほど真剣に語る人は見たことがなく、国中牧師が信じていることは真理ではないかと感じたという。(平良さんが通った国中牧師の教会は、戦後の荒れ果てた建物を間借りし、転々と移った。その一つが宮古神社だった。神職がいなくなった宮古神社を借り受け、皆で修繕して屋根に十字架を立てた。)
 沖縄が日本に返還(1972)される前の一九六六年、沖縄の統治者として当時絶大な権力をふるっていた米国の高等弁務官が交代し、就任した。そのとき、沖縄の牧師として祝福するよう呼ばれた平良師は、内外のメディアがこぞって取り上げることを言った。平良師は、就任式の場で、「これが最後の高等弁務官になりますように」と神に祈った。(高等弁務官―High Commissioner―とは、アメリカ軍政下の沖縄を統治していた琉球列島米国民政府の長。植民地の責任者の意味もある。)
 平良師は救われた時に得た人生観をこう語る。「私の尊厳(尊くおごそかなこと、気高いこと)は、私のいかんによらない。私がどんなに堕落しても、私の尊厳は消えない。神によって撃ち込まれている尊厳なのだ。こういう人間観はクリスチャンになって初めて知った。人間の見方、自分に対する自己理解が変わった。キリストが私の代わりに死んでくださったほどに値(あたい)高い人間ということをそれまで知らなかった。その値高さは、すべての人に例外なく平等に保障されている。それだったら、人間をそまつにはできない。神がその中に隠されている。人というのは、キリストが重なっている。単なる人間ではない。キリストがその中に隠され、存在している。キリストの命が掛かっている。
 だから、高等弁務官の就任式の際、平良師はこう祈った。「神よ、新高等弁務官が沖縄にとって最後の高等弁務官となりますように。沖縄には、あなたの独り子イエス・キリストが、命をかけて愛しておられる百万の市民がおります。高等弁務官をして、これら市民の人権の尊厳の前に、深く頭を垂れさせて下さい」と。平良師は、祈りの意図を、「人が人を力で支配する世界ではなく、人間としての尊厳が大切にされる世界への訴えにあった」と語る。
 高等弁務官が支配をする状況は、沖縄にとって良くない。更に、それは沖縄を軍事支配している米国にとっても良くない状況なのだと、平良師は言う。イエス・キリストは人々の足を洗うという形においてご自分の権威を行使した方である。従って、沖縄の人たちの足を洗うつもりで高等弁務官の職権を果たせ、と平良師は就任式で述べた。そして、沖縄が本来の正常な状態に回復されるよう祈った。正常な状態とは、沖縄は異常な米軍支配から解放され、平和憲法の日本に戻ることを意味した。その六年後、沖縄は日本に返還された。しかし、その後も米軍基地は存在し続ける。それは決して、沖縄の正常な状態ではない。平良師は牧会活動と並行して、市民と一緒に基地反対運動を続けている。それは、米政府に対して何かを強く宣言するようなやり方ではなく、「わからないのですか」と柔らかく訴えようとしている。更に、基地建設には日本政府側の職員もかかわっている。そこで平良師は、「あなたたちを、新しい基地づくりによる結果として、戦争による人殺しの手伝いをしてほしくないのです。させたくないのです。そういう思いで抵抗しているのです」という対話を繰り返し交わしている。米軍に対しては、「あなたたちに、加害者になってほしくないのですよ。お互いに加害者になることはやめよう、皆同じ価値を持った人間なのだから。同じ価値を持った人間としてあなたを尊重します。しかし、あなたのこういう行為に対して、私は反対します。あなたの尊厳に相応しくない行為だと思いますから、やめましょう」と優しく訴えるのだ。
 平良師は、道徳的に正しいことを、相手の魂の尊厳を大切にしながら、訴えている。

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